領土問題は塗り絵ではない

黒岩幸子が、いわゆる北方領土問題について私の視野狭窄をいっきょに広げてくれた、画期的な意見を述べているので、以下に、引用する。                  
                     ー朝日新聞'11/02/19オピニオン厳冬の日ロ・耕論ー


ロシアは、日本との領土交渉から降りてしまった。菅直人首相や前原誠司外相がああだこうだ言ったから、という小手先の話ではない。日本が四島一括じゃないとだめだと、かたくなに言い続けたからだ。

日本政府は二島返還での解決を模索していたこともあるのに、今や四島からの逸脱は政策の違いではなく倫理的不道徳のように見なされている。ソ連から奪還すべき「固有の領土」と世論に言わせるために作られた神話に、作った人たちがしがみついてしまった。これが失敗の本質だ。

日本はキャンペーンのために、北海道と四島が描かれた地図をたくさん作った。図形化して島の本質を分からなくさせて、とにかく地図の色を塗り替えたいと。その結果、視野狭窄でそこしか見えなくなってしまった。外務省の求めで報道機関が現地に入らないから島の姿が伝わらない。だから、ますます記号化された塗り絵になってしまう。

ロシアは、クリル(北方四島と千島列島)をカムチャッカ半島チュコト半島につながる一連のラインと見ている。北太平洋へのプレゼンスのために重要な島だという地政学的な視点だ。クリルがあればオホーツク海を内海にできると考えている人たちに、四島は聖域だから返せといくら繰り返しても通じない。

日本がもっと広い視野を持てば、日本列島は千島列島につながっている。日米ロ3カ国でベーリング海オホーツク海日本海を内海にして、北太平洋に安全保障を確立しようという、大きな話ができるはずだ。さらに日本には南西諸島がある。南シナ海も内海としていずれ平和になるように、中国、台湾、韓国、北朝鮮にも構想を広げられる。

四島を返してほしいのならば、それによってロシアの安全保障が侵されるわけではない、かえって強化されるんだという、彼らを納得させるマクロな視点を示す必要があるのに、それが全くなかった。

日本には、この島々がどういう所だったのかという、ミクロな視点も欠けている。

かってここには先住民がいた。北に千島アイヌ、南には蝦夷アイヌ。真ん中の緩やかな入会地に、1855年、ロシアと日本が勝手に線を引いた。互いに行き来できなくなり、北はロシアに、南は日本に同化させられた。

1875年の樺太千島交換条約で列島全体が日本領になった後の1884年、日本は千島アイヌがカムチャツカと交流するのは危険だと、色丹島強制移住させた。「父祖伝来の地」と日本は言うけれど、当時の色丹は無人島だった。千島アイヌは、適応できずに滅びていった。日本とロシアは、先住民を潰したという大きな責任を負っている。

ラブロフ外相が設置を呼びかけた歴史専門家委員会に、前原外相は消極的だという。領土交渉はやり尽くされたかも知れないが、領土問題を離れたクリルの歴史をやるのであれば面白いと私は思う。

例えば、先住民、日本人、ロシア人という全く異なる三つの民族が、みんな同じ住み方してきたことが分かる。北はカムチャッカ、南は北海道と結びつかないと結局やっていけない。三つの時代をよく検証して、これからどうしたらよいかを考えれば、何か知恵が出てくるはずだ。

          黒岩幸子・岩手県立大准教授(ロシア現代思想・共著「日本の国境・いかにこの『呪縛』を説くか」)
                                                                                                       (聞き手・駒木明義)