向田邦子語録(1)ー霊長類ヒト科動物図鑑ー

【やわらかな矜持】崩れそうで崩れない、やわらかな矜持がある。味噌にも醤油にも油にも馴染         む器量の大きさがあったのである。(豆腐)


【持ち重り】持ち重り:置いた感じからカステラかしら、持ち重りのするところをみると羊羹か      な、揺らさぬようにそっと置いたところをみると洋菓子かしら、とちらりと横目を      使いながら、そんなものは、全く目に入らないといった素振りで、客間へ御案内し      なくてはいけない。                           (寸劇)

【水菓子】万一、うちで出した苺のほうが来客の持ってみえた苺より大粒であったら、申しわけ     ない。こういう場合は、あいにく水菓子は切らしておりまして、という風にもてなし     たほうがいいのである。あれやこれや考えて茶菓をととのえ、いざ、お帰りとなる。     「つまらないものですが」「まあ、いつも御心配、恐れ入ります」決まり文句であ      る。さっきから、そうじゃないかとお待ちしておりました、など口が腐っても言わな     いことになっている。苺だと思って頂戴して、夜、気の張るお客様がみえる、これで     デザートは助かったと思い、いつもより愛想よくお見送りしてあけてみると、フエル     トのスリッパだったりして拍子抜けするのである。(寸劇)


【ほんのおしのぎ】朝を半端にいただいたので、まだおなかがすいておりません、という客には        「ほんのおしのぎ」といってすすめると大抵は綺麗に召し上がってくださる。                            (寸劇)

【真剣白刃の渡合い】子供の時分から客の多いうちで、客と主人側の応対を見ながら大きくなっ          た。見ていて、ほほえましくおかしいのもあり、こっけいなものもあっ           た。だが、いずれにも言える言えることは、両方とも真剣勝負だというこ          とである。虚礼といい見えすいた常套手段とわらうのは簡単だが、それな          りに秘術をつくし、真剣白刃の渡合いというところがあった。決まり文句          をいい、月並みな挨拶を繰り返しながら、それを楽しんでいた。お月見や          お花見のように、それは日本の家庭のであり年中行事でありスリリングな          寸劇でもあった。そしって、客も主人もみなそれぞれにかなりの名演技で          あった。(寸劇)


【歴史のひそみ】こんどの選挙でも、厚かまし無敵艦隊の出馬がちらほら目につくが、歴史の        ひそみにならって負けて下さればいいなと願っている。(無敵艦隊

【生臭い相談】身内にお寺さんがいないので、くわしいことは知らないのだが、お布施というの       は渡すのもむつかしいし、受け取るのもかなり技術というか年期のいるものでは       ないかと思う。まず、供養をお頼みする前に、かなり生臭い相談がある。つまり       お経料の金額を決めなくてはならない。(布施)

【中っ腹】  人を待たせるにも程がると、中っ腹にもなっていた。カメラマンによく見といて       ね、と頼んで帰って来たのだが、モンロー嬢は私と入れ違いにあらわれたそう        だ。どうも私は親ゆずりの性急(セッカチ)で、もう一息の我慢ができず、女の幸せを       逃がしてしまう。モンローをみるのが女の幸せというのはおかしいようだが、私は今でも千載一遇のチャンスを逃がしたという気持でいる。(マリリン・モンロー)

【気伏っせ】 父は威張っているくせに淋しがり屋、恐がり屋のところがあり、家具もなにもな       いガランとしたところに一人で泊まるのが嫌だったのであろう。長女の私がゆく       ことになって出掛けたのだが、父は私がその家につくと「オレは仕事があるか        ら、すまんがお前たのむといって、さっさと帰ってのである。ひどい親もあるも       のだ、と私はあきれてしまった。いまにして思えば、テレ屋の父は、年頃になっ       ていた私と二人きりでいるのが気伏っせというか、どんなはなしをしていいのか       見当もつかなくなり、気短かなことも手伝って、帰るより仕方がなかったのだと       思うが、そのときは、本当に腹が立ちあきれかえってしまった。(お化け)


【脱いだ】  学校にでかけるときになって、セーラー服のスナップやボタンがブラブラになっ       ているのに気がつくことがある。脱いでから、つけ直してもらったところで何分       かかるわけでもないのだが、遅刻は子供にとって、何よりもきまりが悪く嫌なの       である。気がせくので、玄関で立ったままつけてもらう。こういうとき、祖母        は、「脱いだ」と言わせてからでないと針を使わなかった。早くお言いよ、とい       われても、気もそぞろだったり、そんなこと言わなたっていいじゃないの、など       と言っていると、祖母は、「しょうがないねえ」といってから、「脱いだ」と、       代わりに唱えていた。(脱いだ)


三切れと一切れ
       年寄りのいるうちに育ったせいか、いまでも、沢庵や胡瓜の漬物を小皿にとる        とき、三切れはさむことが出来ない。二切れか四切れである。三切れは「身を        斬る」といって、縁起が悪いと子供の頃に教えられたのが、骨のズイまでしみ        込んでいるらしい。祖母は、一切れというのもよくないといっていた。「人を        斬る」といって、本当かどうか知らないが死罪になる人の、最後に食べる香の        ものが一切れだったという。(脱いだ)