火葬女帝持統の冷えししらほねはー塚本邦雄・百珠百華ー

銀壺の中の白骨が鳴った。がさごそと鳴つたらうか。二上山の方角から腥い風が吹かなかったのが、せめてもの幸、この怖るべき野心家の骨は鐵の壜にでも格納して地中深く埋めておくがよい。せめてもの幸は今一つ、思ひに思つて位を譲つた軽の皇子文武帝が、五年後、慶雲四年(七〇二)六月十五日、二十四歳で夭死するのを、知らずに先立つたことだ。父、草壁皇子も二十七歳の一生。殺された大津は二十三歳だった。因縁といふものだらう。人の呪ひは三代まで祟る。祟つて當前の所業を持統はしている。