美術という見世物ー木下直之ー

美術という見世物
木下直之『乍憚口上』(「美術という見世物」)

現代人が美術と呼んでいるものも、この国に昔からあったわけではない。体操の歴史に似て、美術もまた、官が民に教え込んできたという歴史を持つ。

美術学校とはそのための施設である。美術学校を頂点とする美術教育とは、その実践である。美術学校で講じられる日本美術史とは、万国共通の美の基準、という名の実は西洋社会の幻想に奉ずる態度から生まれたものであり、与えられた基準にしたがい、過去にさかのぼって、日本の造形表現を整理し直す作業にほかならない。

そのような見方を得ることで、たとえば仏像は、日本を代表する彫刻作品となったのである。そうでなければ、仏像は、いつまでたっても寺の中で線香の煙を浴びながら、拝まれ続けていたことであろう。


体操を教え込まれた身体が別の動きを身につけていたように、この身体はすでに感覚を宿している。美術教育、と書くのは簡単だが、美術という感覚の領域に属するものの教育とは、鞭の使える体操教育よりもはるかに複雑な事情を有しているに違いない。
美術がどのように受けとられてきたかを知りたいとは思うものの、日本美術史に沿って過去を振り返ったところで、見えてくるものは、すでに美術の顔をした優等生のような作品群である。美術の基準からはずされたアウトローたちは、その時点で、まさに消されてしまったからである。

そこで私は、美術館を出て、見世物小屋を訪れようと考えた。当たり前だが、美術館には美術作品が並んでいるにすぎない。見世物小屋の中には、曲芸師、軽業師、足芸師のほかにも、籠細工師、貝細工師、紙細工師、瀬戸物細工師、ギャマン細工師、生人形師といった細工師たちがぞろぞろいて、ひょっとすると、油絵師や彫刻師なんかもいて、さまざまな技を見せてくれるはずだ。

ところが、あの小屋にはあんまり近づかない方がいいよという声も聞こえてくる。だってあの中に並んでいるものは美術じゃないから。それに低俗だし。

そういえば、美術館学芸員という商売柄、「それは見世物にすぎない」という発言を私はしばしば耳にする。つまり、現代日本で開かれる美術展の学術研究面での貧弱なを批判して、あるいは自嘲を込めて、美術館関係者は嘆いてみせるのである。それは、たとえばこんなふうにである。

   ただ単に物を並べるだけでございましたら、展覧会は見世物小屋と大し
   てかわりはないわけでございますから、これを見世物小屋にしないよう
   に、美術館らしい陳列をするためには、どうしてもこのようなシンポジ
   ウムを必要といたしまし、またプロシーデイングを発行するということ
   も必要となるわけでございます。
           (静岡県立美術館シンポジウム「人体表現一その歴史と現在」
                         での館長挨拶H3/11/13)

こうした発言では、見世物という言葉の内実は、ほとんどなにも想定されていない。いったいぜんたい、見世物小屋に限らず、この世の中で、ただ単に物が並んでいるという状況がありうるだろうか。まして、見世物小屋は物を見せるための場所なのである。見世物固有の論理にしたがって、物は並んでいたはずである。

誰も見世物小屋には足を踏み入れないまま、見世物という殻だけをひとり歩きさせている。昔から見世物は芝居よりもまだ低い最底辺の催しというのが通り相場、見世物を持ち出しておけば、どんな批判も体裁だけは整う。だから、美術館関係者は、美術展が見世物だと呼ばれることをひどく嫌うのである。あるいは、美術展の理想は見世物からできるかぎり遠く離れることだと考えるのである。

新体操が見世物にすぎないと考える私は、もちろん美術展もまた見世物にすぎないと乍憚考える。しかし、その前に「それでは」をくっつける気にはどうしてもなれないのだ。興業形態としてみれば、ポスターやちらしをばらまき、大衆に呼び掛け、料金を取って美術品を見せて、一定数の観客が動員できなければ経営が成り立たない美術館は、江戸時代からの見世物の形式をはっきりひきずっている。形式に連続性が認められるなら、内容にもひとつながりのものがあるに違いない。

見世物は美術展が生まれ育った家なのである。長じてのち生家をやみくもに忌み嫌い、その貧しさを恥じるのは、実は近代社会の中で、日本人が美術にどのような地位を与えてきたかに密接にからんでいる。見世物に向けた憎悪の形成は、近代美術の形成と裏表の関係にある。そのあたりの事情を知るために、生家は本当に貧しかったのかどうかを見つめ直すことから、本書をはじめようと思う。