木下直之「ハリボテの町」

木下直之 「ハリボテの町」」  引用

わたしは、この本が1996年に出版された当時、知人にすすめられたにもかかわらず、「ハリボテの町」という書名が、映画セットの“うすっぺらさ”を連想させたので、ろくに読まずに返却したことを後悔しております。

わたしにとって、珍しくもなんともないので、やりすごしてしまうもの、醜いので見ようともしないもの、なんとなく気にはなるが、いつしか“日常”にながされて、埋もれ忘れさられてしまうもの、そういったものに、木下直之は“カメラ”をむけるのです。そうして当たり前のことを当たり前でなくしてしまう、静かな魔法使いです。

下記は、木下直之による、「ハリボテの町」<文庫版のためのあとがき>からの、ややながめですが、引用です。

珍しいものを探して歩くのではなく、珍しくもなんともないものが突然気になり出す瞬間を、じっと待ってカメラを向ける。それは、通勤の先で私を待っている仕事に通じるものだった。当時の私は美術館に勤めていた。美術館にせよ博物館にせよ、そこは珍しいものを見せる場所だと思われがちだ、実際、博物館のルーツには珍奇なものを見せた「脅威の部屋」があるわけだし、現代の美術館は名作・名品・傑作といった逸品を見せることに懸命だ。

しかし、博物館にはもっと大きな魅力がある。当たり前のことを当たり前ではなくしてしまう場所といったらよいだろうか。たとえば食堂のショーケースの食品サンプルを博物館のショーケースに展示したとたん、日本全国の食堂という食堂がなぜそんなものを用意しているのかを考えさせられる。博物館は人を立ち止まらせるのだ。それに比べれば、美術品しか扱わないと宣言する美術館は自分から間口を狭くしているようなものだ(例外的に福島県立美術館が1997年の秋に食品サンプルを展示した)。やがて私が職場を博物館に変えたのも、そんな美術館を窮屈だと感じるようになったからだった。

「街を歩けば」を新聞に連載していたころ、私は「美術という見世物」(平凡社)という本を書いていた。それは、幕末維新期の日本の町をうろつき回るような楽しい仕事だった。見世物や一式飾りや人形や写真など、美術館があんまり相手にしないものを見つけては、やがて百物館と名づけることになる私の空想博物館にせっせとため込んだ。

「街を歩けば」の連載終了後に単行本化のお話をいただいた時、幕末維新期の町と現代の町とをつないで、いっしょに考えてみたいと思った。そして、明治時代の凱旋門や現代の駅前モニュメントの話を書き足して、1996年に『ハリボテの町』(朝日新聞社)を上梓した。「ハリボテ」は近代日本を解読するキーワードになると考えたからだ。ハリボテの肩を持とうと思った。その本のまえがきに、こんなふうに書いている。

本書を「ハリボテの町」と名付けたのは、ちょっとした賭けである。おそらく書店でこの書名を目にする読者は、日本の町のハリボテ性、そのうすっぺらさを嘆いた本だと受けとめるに違いない。町歩きを始めたころの私に、そんな気持がなかったとはいえない。しかし町をうろつき回るうちに、日本の町はうすっぺらいという疑う余地のない常識を疑う余地にいたるところで出くわした。むしろハリボテであることを恥じる気持ちの方に問題はないのかと考えたのである。この意識が町づくりの原点にあるから、大規模で画一的な駅前再開発が行なわれ、その仕上げにモニュメントが設置されるに違いない。

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