「制度としての退官」ー梅棹忠夫ー1993年6月(朝日新聞)

梅棹は「退官」を民族学で用いる「王ごろし」の現象になぞらえており、「王ごろし」とはアフリカその他でみられた慣行で、フレイザーの『金枝篇』にくわしく出ている。それは「神聖なる王の弑逆」と称され、基本的事実は、王がすこしでも衰弱のきざしをみせると、容赦なく王を殺害するという点にある。梅棹は、「わたしはまさしくこれではないのか。ころされこそしなかったけれど、任期満了にともなって、王位を追われたのである。わたしには衰弱の自覚はないが、高年齢であることは否定できない」と綴っている。さらに、定年制とは「文明化された王の弑逆」であろうとも言っている。

山折哲雄の「組織としての衰退防いだ王ごろし」
       2018年10月6日朝日新聞からの孫引きー